ひつじの部屋

多趣味・多経験を活かしたい

今日の一冊「宵山万華鏡」森見登美彦(集英社文庫)

森見作品にハマったきっかけの一冊。
高校時代に「太陽の塔」だったか何だったかで一度読んでいたけど、
あんまり印象に残っていなかった。
大学時代にこの「宵山万華鏡」を読んでスコーンっとハマった。

次に読んだのが「夜は短し歩けよ乙女」だったことも良かった。
早期に「四畳半」系の小説を手にしていたら、
くすぶった男子大学生の妄想に付いて行けなくて
ハマらなかった可能性があるからね。

宵山万華鏡」は群像劇な短編集のようで、全部繋がっている。
宵山の夜は全て繋がっているから。
この不可思議で薄暗い怖さを孕みつつ、でもユニークな登場人物たちに彩られて
京都の伝統的な祭りの夜を舞台に物語は展開していく。

全ての物語を軽やかに駆け抜ける、金魚色の浴衣を着た少女たちは、
可愛いようでいて不気味だ。

でもそれぞれの物語の主人公から脇役まで、軽妙な会話や語り口もあって
怪談を読んでいるような恐ろしさはほぼ無い。
特に「宵山金魚」から「宵山劇場」に登場する、
乙川氏と藤田君や山田川女史と小長井君の会話は、森見作品らしさが満載。
宵山金魚」のハチャメチャぶりは思わず読みながらクスクス笑ってしまう。

それから「宵山回廊」「宵山迷宮」と主人公が移っていく中で、
段々と薄暗い、抜け出せない恐ろしさがジワジワと現れて来る。

そして最後の「宵山万華鏡」でザーッとハチャメチャだった展開すらも回収して、
怖さと、怖さから逃れた安堵と、でも実は宵山はずっと続いているんじゃないか、
という不穏な疑惑を残して、本を閉じたあとも余韻に浸れる。

あーっ。森見さん読むと京都に行きたくなるんだよなーっ!!
聖地巡礼したい(笑)

一昨日からの続き「妖怪博士」江戸川乱歩

勢いのままに、シリーズ三作目。
ここまでしか持っていないけど、まだ続いているのね、
ということをウィキペディアで知った。
ウィキったら怪人二十面相の本名まで普通に出てきた。
知りたかったのはソレジャナイ。

三作目を初めて読んだときは、えーって思った。
だって華麗に宝物を盗み出す怪盗の知恵が、みみっちい復讐に使われているんだもの。
良い大人が少年たち相手に本気で復讐せんでくれよって。

特に最後のエピソードなんて、宝すら出てこなくて、
ただただ少年探偵団を怖い目にあわせて、明智探偵を貶めようってだけなんだもの。
おい、紳士設定どこさ消え去った、と。
おまえさん、どこに労力さ使いよるんや、と。

まあ、物語の展開上、少年探偵団を活躍させたいから、
彼らに構わずお宝ばかりを追いかけているわけにもいかないんだろうけどさ。
でもせめて予告状を出した活動をしようぜ、と。

でも今回改めて読んでみたら、意外と怪盗と探偵の知恵比べって感じで面白かった。
犯行の動機がみみっちいなってだけで。
やっぱり直接少年たちに危害を加えるんじゃなくて、
本職の窃盗で探偵たちの鼻を明かして頂きたいよね、という結論はあるのよ。

本気で自分の欲求のままに生きている感じは、ある意味で清々しいのかもしれないか。

水辺のベンチシリーズ⑲ ウインターガーデン

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オークランドドメインという大きな公園の中にあるボタニカルガーデン。

入園料が無料というかご自由にどうぞって感じだったから、しょっちゅう癒されに行っていた。

 

都心部にあることを思わず忘れてしまいそうな、山あり川あり博物館あり植物園あり、

なんならラグビーコートまでありの広大な公園の一部。

オークランドドメインは実は一つの火山が丸っと公園になっているので火口もある。

 

このボタニカルガーデンはウインターガーデンと呼ばれていて、大きく三つのエリアに分かれている。

真ん中に池があって、両脇と奥で世界が違う。

二つは屋内で、片方は季節の花が咲き、他方は南国の花の咲く温室。

奥はニュージーランド原産の植物が植えられた、シダ植物メインのファーンエリア。

私は奥のうっそうと太古の植物が生い茂る世界が好きだった。

ラグビーNZ代表のオールブラックスのシンボルにもなっているシルバー・ファーンもあるし、

その他様々なシダ植物、二カウという地球最南端に生息するヤシ科の植物などなど、

鳥の楽園だった時代のニュージーランドを感じられる場所。

 

さりげなく点在するオブジェがNZらしい鳥たちばかりなところも素敵。

ウインターガーデンでは、ケレルという固有種のハトの一種を見かけたこともある。

マオリ神話に出て来る半神半人のマウイが、よく化けていたというハトちゃんは、

一般的な灰色の鳩よりも一回り大きくてデップリしてて可愛い。

色もおなかは真っ白で首から翼は緑味がかかっていてとっても綺麗。

これはティリティリマタンギ島に行ったときに撮ったケレル君だけど、ちゃんと色が写らなかった。残念。

 

一緒に写っている黄色い花は、NZ国花のコファイ(コーファイ?)。

マオリ語で「黄色」って意味らしい。そのままっすね。

日本でいう桜のような、春を告げる花。大体9月に咲いていた。

鳥が蜜を吸うときに花粉を運ぶように、細長いバナナみたいな形の花で、

お客さんに説明するときも、「小さいバナナがたくさん生っているみたいな花」って言ってた(笑)

 

コファイが咲くと、春が来たんだなって嬉しくなる。

桜よりも花期が長いから、九月ごろに行けばきっとどこかしらで見かけると思う。

北島も南島もそこら中で植えてあったけど、不思議なことにより寒い南島の方が早く咲いていたなぁ。

葉っぱや咲き方が微妙に違って何種類かあるみたいだったから、品種の問題かもしれないけど。

 

あら。今日はベンチの話よりも植物の話になってしまった。ガイドの癖かしら。

まいっか。ニュージーランドはそろそろ夏なんだなあ。

昨日の続き「少年探偵団」(新潮文庫)

珍しく予告通りに江戸川乱歩
昨日はコナン君を思い起こしていたけど、
こっちはもっとマイナーな「夢水清志郎シリーズ(はやみねかおる)」を想起した。

なんだっけ。そして五人がいなくなる、だっけな。
マジシャンが黒い気球で飛んでいくやつ。
オマージュというか、まんま同じだったよね。

しかし怪人二十面相のユニークさは他に類を見ないというか。
明智小五郎的な名探偵はよく物語の世界で
(はやみねかおる的にいうと、赤い夢の世界、かな)
まま見かける人物だけど。
黄金製の塔を盗み出すエピソードの中で、
『黄金の塔そのものは、さほどほしいとは思わなかった』けど
『噂に高い厳重な防備装置に引きつけられ』て、
『まんまと塔を盗み出して、世間をアッと言わせたい』
という二十面相君らしさを表した文章があるのだけど、
このキャラクター性がいっそ芸術的で愉快。

明智探偵の裏をかいて、裏の裏をかかれて、裏の裏の裏の・・・
って感じで、次々と(とんでもねえな)って内心で呟かざるを得ない展開があって、
さすが戦前の冒険小説って感じの強引なストーリーも逆に斬新。

私が持っている文庫は原文ほぼそのままらしいから、
現代では差別用語とされる表現も散見されるけど、
内容だけなら確かに子供にも読ませたい。読書の楽しみを知れるわ。
しかし差別ともちょっと違うけど、初めに出て来るおじさんの印度人への偏見が凄い。
彼曰く、印度人は『今地面に種を撒いたかと思うと、見る見る、それが眼を出し、茎が延び、
葉が生え、花が咲くというようなことは朝飯前にやってのける人種』らしい。

現代なら考えられない表現で、そんなところも面白いと思うポイントだわ。

今日の一冊「怪人二十面相 私立探偵 明智小五郎」江戸川乱歩(新潮文庫)

朝、急いで取りあえず薄くてすでにブックカバーの掛かった本を選んだら、
まさかの江戸川乱歩
ランダム読書にも程があるわ。
でもせっかくだから、明日は「少年探偵団」を読もうかな。

名探偵コナン世代だから、読んでいると端々にコナン君がちらつく。
いや、こっちが本家本元なんだけどさ。
でも少年探偵団とか、小林少年の七つ道具とか、つい連想しちゃうよね。

数年前に映画化された「K-20」も観たけど、
色々オマージュされるほど偉大な傑作なんだなぁと、しみじみ読んでしまう。

けど意外ととっつきやすい。「吾輩は猫である」よりよっぽど読みやすい。
もともと児童向けってこともあるだろうけど。
古い小説なのに、堅苦しくないし、作者が読者に語り掛けるような感じで、
おじいちゃんに昔話を話してもらっているような。
昔々、こんな面白い怪盗と名探偵がおったんやで、みたいな。

しかし怪人二十面相もなかなかに愉快な存在よね。
美学のある怪盗って、ある種のヒーロー感がある。
予告状を必ず出して、人は殺さない。
そして好敵手の名探偵と五分五分の頭脳戦をして、
お互い対峙しながら認め合ってて、謎の信頼関係がある。
そんでもって、両者ともに警察は馬鹿にしている節がある。

あれ、江戸川乱歩を語っているつもりが、名探偵コナンの話をしている気分になってきたぞ。

これを読んでいて、登場人物たちや文体に歴史を感じはするけど、
一番可愛いなwって思うのは、厚顔不遜な怪人二十面相の一人称が「僕」なところなんだよな。
次に可愛いなwって思うのが、小林少年の伝書鳩のネーミングセンス。
ハトにピッポちゃんなんて、現代っ子なら絶対に付けないよね。

今日の一冊「ジヴェルニーの食卓」原田マハ

原田マハは「カフーを待ちわびて」だけ読んだことがあったのかな。
あったら読む、程度の作家さんだったけど、これは好き。
そんなに分厚くないから、サクッと読み終わるかなって思ったけど、
案外読了に時間がかかった。

今回は19世紀末~20世紀初頭の頃のフランスの世界へ。

美術界の巨匠と呼ばれる、
アンリ・マティスエドガー・ドガポール・セザンヌクロード・モネ
の、4人を取り巻く人々が描かれた短編集。
戦争の時代であることも要因の一つとして、どれもどこか切なくて綺麗な物語だった。
ぶっちゃけ美術館に行くことは好きだけど、画家個人に興味は無かった。
短絡的にパッと見で絵が綺麗なら誰に描かれたとかどうでも良かったの。

モネとセザンヌは本物を見た記憶があったけど、他の二人は名前すら知らんかった。
名前でグーグル検索したら、この絵見たことあるわ!ってなるレベルの有名な絵だった。

今まではその絵が好きか嫌いか、単純な視点しか持ち得なかったけど、
その絵の描かれた背景、その時その画家がどんな状況にあったのか、
ということまで考えると、滅茶苦茶に深くて面白いなって思った。
特にこの時代のヨーロッパは大きな戦禍もあって、生きていることすら精一杯な状況で。
それでも絵を書き続けたって、それだけ取り憑かれていて、
それを支えた人たちもまた、その人に取り憑かれていたんだって思って。

一つの絵画に込められた怒りや悲しみや愛の感情までに向き合って、
歴史や画家個人の置かれた状況と照らし合わせながら美術館を巡ってみたくなった。

一番好きな登場人物は、最後のモネの章「ジヴェルニーの食卓」に出て来る元首相のクレマンソー。
色気より食い気な感じが、神様みたいな巨匠の世界よりも身近に感じてホッとする。

本人は登場しないけど、セザンヌの章の「タンギー爺さん」も好き。
お金よりも若い作家の才能を大切にして、夢を追う若者たちの味方であり続けた強さに憧れる。
その娘や妻の苦労は計り知れないけど。
この章は娘がセザンヌに送った書簡のみで構成されているタイプの話だけど、一番切なかった。

あーでも最初の「うつくしい墓」に出て来るマグノリアのマダムもオシャレで好きだなー。
何も語られないけど、愛が確かに存在している雰囲気が。ロマンスを感じる。

結果、全部好きじゃん(笑)
全体的に明るくないけど暗くもなくて、優しいのに激しい感情も確かにあって、
そんな感じの読み応えのある短編集でした。

水辺のベンチシリーズ⑱ パイヒアの海上レストラン

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波も穏やかな入り江にあるからこその、半海上のレストラン。

一人で食事は気が引けたので、午前中にコーヒーだけを頂きに行きました。

ドリンクだけでもOKと笑顔で席に案内してくれて、スタッフさんもとても感じが良かった。

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カフェラテを一杯

 

座った窓辺の席はまさに海の上!

前日の雨で海が濁っていたのは残念で、写真では分かりづらいのも残念なんだけど。。

カフェの雰囲気もナチュラルな感じで居心地が良かった。

友達と一緒なら夜にお酒を嗜みに行っても良かったかも。

食事メニューも立地の割にお手頃価格な感じだったし。

 

ニュージーランドはどこに行ってもコーヒーが美味しいのよね。

日本に帰国してまずカフェのコーヒーの不味さに衝撃を受けたもん。

最近は新しいカフェに行く度にNZの味を求めてコーヒーを頼んでみるけど、

なかなかこれといった味に出会えなくてしょんぼり。

そろそろ諦めてコーヒー豆からこだわって自分で淹れられるようになりたくなってきた。